どこでもGO

こんな所に行ってみました、あんな所に行ってみました的な情報発信をしていきますね。基本、実際に行った所のみブログします。現場でないとわからないような情報発信を心掛けます。

荒川知水資料館 アモア 荒川に詳しくなる! 見どころチェック これを知っておけば豆博士だ!

こんにちは!どこでもGOです!

荒川知水資料館(アモア)に行って来ました。旧岩淵水門へ行く道沿い、荒川沿いにあります。荒川の治水の事、荒川放水路建設の事がよくわかります。水門を見た後は、この資料館に寄って荒川の豆博士になろう!

f:id:kataryuu:20211021185740j:plain

目 次

 

1. 荒川知水資料館とは

荒川知水資料館は荒川流域の人との情報の交流、また東京都北区における河川公園管理の拠点としてこれらの機能を集結させる形で平成10年(1998年)3月に開館致しました。通称名アモア国土交通省荒川下流河川事務所(隣の建物)が管理しています。荒川放水路に関する資料を中心に、荒川まわりの河川の治水、環境、防災、ハザードマップ、流域模型など、歴史から機能まで幅広く紹介しています。

f:id:kataryuu:20211021185817j:plain

 

2. どこにあるの?

最寄り駅が3駅ありますが、そこからの徒歩になります。専用駐車場はありませんが、周りにコインパーキングは多数あります。旧岩淵水門へ行く道沿い、荒川沿いにあります。荒川沿いにあるので、手前にある新志茂橋で新河岸川を渡ります。写真は橋への誘導路です。

f:id:kataryuu:20211020175531j:plain

写真左に見える建物が、荒川知水資料館。右に見える、ちょっと茶色が濃い建物が国土交通省荒川下流河川事務所とそのアンテナ塔です。

f:id:kataryuu:20211021190645j:plain

 

3. 入口横にある記念碑

荒川放水路の完成を記念して建てられた、荒川放水路完成記念碑です。治水大成碑とも言っています。荒川下流改修工事事務所主任技師であった青山士(あきら)及び工事関係者一同が、工事の犠牲者を弔う為に、資金を出し合って作成しました。台座は富士川の転石を、銘板の模様は当時の河川敷を埋め尽くした桜草です。この工事の最高責任者であり功労者でもある青山士の名前はありません。巨大な土木事業は関係者全員で造り上げていくものであるという、青山主任技師の精神が表れています。

f:id:kataryuu:20211021190833j:plain

 

4. コロナ対策して入館

何かあった時の為に、入館者カードに名前と電話番号を記入し箱に投函します。このカードは1ヶ月間は個人情報漏洩に注意しながら保管し、その後廃棄されます。

f:id:kataryuu:20211021191527j:plain

入館中は来館者の衣服等の見える所に貼っておく入館シールです。これで、ちゃんと受付をした人か否かを識別するそうです。アモアの略はこれです。

f:id:kataryuu:20211021191550j:plain

 

5. 館内概要

資料館は3階建てです。

  • 1階 受付と事務所とちょっとしたビデオ資料
  • 2階 資料館の実質の展示資料がある階
  • 3階 ライブラリー(閉館中)と屋上への出入口

2階

f:id:kataryuu:20211022111030j:plain
f:id:kataryuu:20211022111049j:plain

総監督の青山さんが事前に参画したパナマ運河建設との比較資料です。あの北米と南米の間にある、太平洋とカリブ海をつなぐパナマ運河ですよ。これを見ると荒川放水路建設がいかに大変な事業であったかがわかります。

f:id:kataryuu:20211022173422p:plain

f:id:kataryuu:20211022111126j:plain
f:id:kataryuu:20211022111147j:plain

 

3階

f:id:kataryuu:20211022110224j:plain

荒川流水模型がありました。右側の流れが荒川、左のちょっと細い流れが隅田川、真ん中にあるのが岩淵水門です。

f:id:kataryuu:20211022110246j:plain

 

6. これを知っておけば荒川豆博士だ!

6.1 荒川は人工的に作られた、荒川放水路だった!

岩淵付近から下流隅田川は川幅も狭く、曲がりくねっていた為に、しばしば洪水を引き起こしていました。その対策として、岩淵から東京湾の河口まで22kmに渡って放水路が新設されたのです。その新しくできた荒川放水路を今は荒川と呼んでいます。

 

6.2 なぜ、荒川放水路は作られたの?

洪水の回避の為ですが、しばしばおきていた洪水の中でも特に、明治43年(1910年)8月の洪水はとてつもなくひどく、当時の東京府の24万人が被害を受けるありさまでした。これを契機に、荒川放水路をすぐに作ろうとなりました。

 

6.3 なぜ、このルートになったの?

元々、4つのルートが考えられていました。その中で、最も工事がしやすく、影響をうける住宅、工場、生産拠点が少なく、なるべく直線的に河口に流れる事ができ、広い川幅をとれる事をポイントに検討され、今のルートが最適と決まりました。

 

6.4 誰が作ったの?

青山士(あきら)さんです。大正7年(1918年)から総監督になりました。その為にパナマ運河建設に従事してきました。実際に工事にたずさわった方は300万人にのぼります。当時は十分な重機がなかったので、ほとんど人力が頼りでした。

 

6.5 工事途中での最大の被害は何だった?

関東大震災です。放水路建設工事は、1910年~1930年の20年間です。大正12年(1923年)に起こった関東大震災では、28ヶ所以上の所で堤防が壊れるなどの被害が発生しました。また、大正6年(1917年)には大きな高潮にみまわれ、多くの工事関係者の命がなくなりました。

 

6.6 完成した後はどうなった?

放水路建設工事は20年間かかりました。それまでは2年に一度は大きな洪水被害があったのですが、放水路ができてからは90年以上経ったいまでも、荒川の洪水は一度も起こっていません。

 

7. まとめ

こんな感じで、荒川・荒川放水路の事が詳しくわかる資料、展示がいっぱいあります。ビデオ映像も2ヶ所あり、わかりやすく説明があります。関東にお住みの方は是非地元の事をもう少し知っておいた方がいいと思います。

岩淵水門帰りには是非お寄り下さい。

 

dokodemogo.jp

 

8. 基本情報

施設名称

荒川知水資料館、別名、アモア

住 所

東京都北区志茂 5-41-1

アクセス

電話番号

03-3902-2271

開館時間

平日9:30-17:00/土日祝日10:00-17:00

11月~2月は16:30閉館

休館日

月曜日(月曜日が祝日時は翌平日)、お盆、年末年始

入館料

無料

所要時間

1時間

トイレ

1階にありますが、国土交通省が管理しているので車いす用になっています。