どこでもGO

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鶴ヶ城 会津若松 戊辰戦争の会津戦争の中心 白虎隊が活躍も自刃へ 城から延び出る長屋

こんにちは!どこでもGOです!

猪苗代湖近くの会津若松鶴ヶ城(当時は若松城)があります。日本の幕末維新、明治時代をかけて、会津藩(幕府側、白虎隊)と新政府側(維新側、西軍)が壮絶な戦いを繰り広げた戊辰戦争会津藩の城です。重要な場所にあるので、城主も何回も変わっています。リニューアルオープンしたので、きれい!もちろん、興味深い資料がいっぱいでしたよ。

ご紹介しますね。

目 次

 

1. 鶴ヶ城とは

会津藩主23万石の居城で、1593年に蒲生 氏郷(がもう うじさと)が7層の天守を築きました。この時、鶴ヶ城命名しました。

江戸時代に入り、会津で大地震会津盆地が震源でM6.9)が発生。被害を受けた天守は大改修され、加藤 明成(かとう あきなり)が旗をふり、現在と同じ5層の天守となりました。

幕末の戊辰戦争では新政府軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられましたが明治7年、政府の命令により取り壊され、現在の天守は昭和40年(1965年)に再建されました。内部は博物館になっています。第5層からは会津若松市街地や会津盆地、磐梯山が一望できます。

全高は36m、内石垣部分の高さは11mあります。

 

2. 鐘撞堂

かねつきどう。

専門の時守をおいて、昼夜時刻を城下に報じていたお堂です。鐘は1747年に作成され、1868年の戊辰戦争開戦、新政府軍からの集中砲火で何人もの時守が倒れる中、開城の間際まで正確に時を報じていたそうです。

この事は味方の士気をたいへん上げていました。

 

3. 黒鉄門

くろがねもん。

鶴ヶ城本丸に通じる表門で、北向きの多聞櫓(たもんやぐら)城門です。扉や柱が鉄で包まれていた事から鉄門の名がつけられています。戊辰戦争中は藩主松平 容保(まつだいら かたもり)がこの門上で指揮を執りました。

 

4. 武者走り

この石垣の裏手にある鶴ヶ城の大手門の渡り櫓などへ、城内の兵が一斉に簡単に上り・下りができるように造られています。階段はそれぞれ上り・下りは決めてあります。V字型に造られており、武者走りとも呼ばれ、鶴ヶ城の石垣の特色の1つです。

 

5. 天守の土台である石垣

天守閣を支える石垣は野面積み(のづらつみ)といわれる工法で積まれています。この工法は自然の石を、あまり加工せず積み上げるやりかたで約400年前に蒲生氏郷の築城時に採用されました。これを積んだのは穴太衆(あのうしゅう)という石工職人です。

写真では奥の方の石垣です。手前の石垣は後になって造られたので工法が違っています。

 

6. 天守

天守閣入場料¥410。あいにくと撮影可能エリアは限られていました。

2023年4月28日に、天守閣にある郷土資料館を中心にリニューアルされてグランドオープンしたので、非常にきれいです。城内は各階毎に下記のように分かれています。

 

第2層 領主の変遷と国づくり

領主ヒストリーボード。重要な場所にあるので、過去、何回も城主が変わっています。

 

城周辺のジオラマ

戊辰戦争時の新政府軍、旧幕府軍の動き、攻撃ルート、落城までの動きなどが、分かり易く表現されています。

 

白虎隊

会津藩旧幕府軍)は、藩士の年齢別に、白狐(びゃっこ)・朱雀(すざく)・玄武(げんぶ)・青龍(せいりゅう)の4部隊編成とし、さらに階級ごとに士中・足軽・寄合隊に分けました。

総勢340名。白虎隊は16~17歳、年齢が若かった為に予備兵として考えられていましたが、戦況が悪化する中、前線に投入されるようになりました。

 

飯盛山中腹で自刃した白虎隊十九士

始めての実戦、会津戦での戸ノ口原(とのくちはら)での戦いで、新政府軍の圧倒的な戦力のもと、惨敗をくらいました。猪苗代湖の水を会津地方に引くために掘られた洞穴150mを通り、命からがら逃げてきたものの、勝ち目はない事を悟り、自刃の道を選択しました。

 

戊辰戦争で負け、お城は荒廃

戊辰戦争で負け、ボロボロになり、開城しましたが、使えない状態だったので立ち入り禁止となりました。その後、地元からの要望もあり、明治7年までに石垣を残して、取り壊されてしまいました。

 

天守閣からの会津若松市街地方面の眺め

先の方に伸びている屋根は、南走長屋。

 

ミュージアムショップ

お城のお土産物売場としては大きい方だと思います。想い出にいかがですか?

 

南走長屋

お城本体から伸び出る、干飯櫓とを結ぶ長い連絡通路です。

長い廊下は展示室となっています。

 

7. 公衆電話ボックス

こちらのボックスは上に鐘が付いています。

 

8. 荒城の月歌碑

名曲「荒城の月」は、明治7年に取り壊され、荒城となった鶴ヶ城をモチーフに作られました。1950年に文化勲章を受賞している詩人、土井 晩翠(どい ばんすい)さんの作詞です。作曲は滝 廉太郎(たきれんたろう)さんです。この歌碑は昭和21年に作られ、土井氏の直筆による「荒城の月」の1番~4番までの歌詞が記されています。

仙台城址にも「荒城の月」の詩碑が建立されています。

 

9. 御城印

御城印¥500。こちらは書き置きです。コロナ後書き置きが非常に多くなりましたね。

 

10.すぐ近くにあります!

dokodemogo.jp

 

いかがでしょうか。これを見て、行きたいと思った方は是非!

これ以外にも、福島・郡山・猪苗代・会津・磐梯エリアには、猪苗代湖五色沼、大内宿、白虎隊、鶴ヶ城会津さざえ堂、磐梯山、あぶくま洞、アクアマリンふくしまスパリゾートハワイアンズ など見どころがたくさんあります。

 

私が一番利用しているクラブツーリズムです。宿の質の高さ、添乗員さんのレベルが高いので気に入っています。

 

11. 基本情報

施設名

鶴ヶ城

住 所

福島県会津若松市追手町1-1

アクセス

連絡先

会津若松観光ビューロー

0242-27-4005

休館日

なし

営業時間

天守閣博物館 8:30~17:00 最終入館16:30

料 金

  • 大人      ¥410
  • 小人      ¥150
  • 茶室麟閣共通券 ¥520
  • 三施設共通券  ¥730(天守閣・茶室麟閣・御薬園)

駐車場

最初の1時間¥200、以降1時間ごとに¥100追加

  • 西出丸駐車場  普通車200台
  • 東口駐車場   普通車129台
  • 南口駐車場   普通車35台

所要時間

約1時間